橋本治「男の編物」

皆さんご存知でしょうか。今は亡き橋本治さんが実はニッターでもあったということを。
恥ずかしながらつい最近そのことを耳にし、頭が?でいっぱいになりました。
橋本治が編み物???…そして見つけたこの本、『男の編み物 手トリ足トリ』。

↑タイトルからの想像を裏切る可愛い表紙!モデルは橋本さんご本人です。

これはすごい本です。雷に打たれたような衝撃。こんなに活き活きと、物を作る喜びにあふれた編み物本を、私は読んだことがありません。

↑イラストレーターでもあった橋本治さん。扉のイラストもかわいいのです。

表紙をめくり、カラーページに溢れる80年代の空気感にも心奪われます。
着こなし、ポーズ、本のレイアウト、写植の文字…全てがまさに80年代!

↑右端は「山口百恵のセーター」。これが編み込み柄なのです。

ああ、80年代はポジティブで楽しい時代だったんだなとしみじみ思えてきます。

このブログをご覧下さるような方は、おそらく日常的に編み物をなさっていて、作り目や表目の編み方なんて今さら聞くまでもないという方がほとんどかと思います。

でも、ぜひ、この本の作り目の解説、メリヤス編みの編み方を読んでみて下さい。
作り目の解説なのに、エッセイのように読んで面白いのです。

まさに「男の編み物」。ちまちましていない。そして理屈っぽい。
やり方よりも「なぜ」「何のために」そうするのかが事細かに書かれています。
こういうの、好きだなあ。家電やコンピューター関係のマニュアルが皆こういう書き方をしてくれたら読む気になるのに、と思います。

↑「毛糸屋に行く前に」の章も面白いのです。子供の頃の記憶に微かに残っているような町の毛糸屋さん。昭和のお買い物って楽しかったなあ。

この本には、適当、テキトーという言葉がよく出てきます。
「テキトーな長さで」「テキトーなところで」、普通の編み物本にはまず書かれていない(もしくは書いてはいけないと考えられている)言葉だけれどとても大事なところ、と私は思います。

ここでの「適当」とは、いいかげんな、でたらめな、という意味ではなく「良い加減」「適度な」という意味であり、テキトーの具合を自分の頭と手で考えて見つけていくことが、自分なりの技術を身に付けていくことで、その人らしさやその人のセンスが現れるところ。
それは言葉で説明のできないことだと思うのです。

↑ジュリーのセーター

橋本さんの作品は編み込みが命です。ふつうの編み込みではありません。超緻密でぶっ飛んでいます。
その編み込みについても、編み図の作り方から編み方まで惜しげも無く披露されています。

↑ジュリーのセーターは、このポスターをセーターの柄にしたもの。すごい再現度!
↑驚きの制作過程の写真も。画像処理ソフトなど無い時代です、手書きのマス目を塗って作った編み図。

この本の、初めて編み物をしようとする人に「まずはマフラーを編んで基本を身につけましょう」と言わないところが好きです。

いきなりセーターを、それも自分サイズのセーターを編み図を書き起こすところから。
やる気と根気さえあればできますよ。ただし、編み目はガタガタになるでしょうけど、初めてなのだから当たり前。自分で作って自分で着るのだから、編みたいものを編みましょうよ。
…というスタンスで本全体が語られています。
(だからもちろん、まっすぐのマフラーが本当に編みたいものなら、それを編めばいいのです。)

↑もし子どもの頃に戻って初めて編み物に出会えるなら、この本を見て初めてのセーターを編んでみたかった。
↑反面教師、というデザインの失敗例も。

先ほど「編みたい物を編めばいい」と書きましたが、そう言われても何を編みたいのかわからない、という場合もあるかと思います。
出来上がりを想像できる、素敵な見本があるものを編みたい場合も多いと思うのです。

自分が本当は何を編みたいのかを考え抜くのは、楽しいだけじゃなく苦労も多い。
(おそらく)少しばかり不格好に仕上がるであろう自分で引いた製図、自分で考えた模様を編んで、出来上がったものから何を得るか、何を想うか。
自由とは何か。

編み物について語りながらいつの間にか人生についても考えさせるような、これは編み物本でありながら哲学の書。
橋本治は偉大だったと実感する一冊でした。

↑毛糸を持つ橋本さん。なんて嬉しそうな顔!

ぜひ手元に置いて読み返したいけれど、残念ながら今は絶版の稀少本のようです。
読みたくなったら、また図書館で借りようと思います。